グリーが誕生した瞬間

上智大学グリークラブが生まれたのは、昭和28年(1953年)のことである。
今年(2007年)から遡ること54年前、太平洋戦争の終戦からまだ8年しか経っていなかった。
それこそ食べるもの、着るものにも不自由していた戦後の混乱期とも言える頃だ。
私は、転勤の多かった父の職場が山形市から北海道の釧路市に移った翌年、上智を受験して上京した。県立山形南高校から北海道立釧路湖陵高校へと高校を転校した直後のことである。
山形南では3年弱、フルに男声合唱に没頭した。いや、そのために山形南を選んだのだ。その高校には音楽の担当教諭 森山三郎(故人)という合唱の権化がいた。山形一中でもコーラスをやっていた私は、その“権化“ に憧れて山形南を選んだのである。
毎日、授業が終わると音楽室に集まり、徹底的にしごかれる。森山先生は、音感教育の権威者佐々木幸徳氏(当時在京、後に基之に改名。故人)の秘蔵子だったのだ。その厳しさから生まれるハーモニーは、歌う者も、聴く者もその心を融かした。南高校入学後、毎日、放課後の練習が楽しみだった。“ハーモニーがなっていない!”とさんざん怒鳴られても、である。
のちに、高校を卒業して上京してからは、山形南時代の友人達とその佐々木先生のもとによく、歌いに通ったのも思い出だ。
さて、上智大学に入って私は先ず、事務室を訪ね、部活動の合唱団にどんなものがあるかを問うた。返答は「合唱団は無い」だった。これを聞いて、「しまった」と思うと同時に、すぐに、「じゃ作ろう」と考えたのである。
入学後、知り合った3人の級友たちを、合唱をやろうと口説いた。彼らは合唱の経験などまったくなかったが、こちらの説得に魅力を感じてくれた。
歌っているうちによちよち歩きながらも、なんとか四重唱ができるようになったのである。
合唱とはそんなものである。四人が他の三人の声を聴きながら、それぞれの音を正確に出せるようになると、和音がきれいに響くのだ。
毎日、昼休みは勿論、授業が終わると集まって四重唱に専念した。私に無理に誘われた三人は、こうして歌っているうちに合唱の素晴らしさがどうやら分かってきたらしい。そして、今で言う、「はまってしまった」のだ。
そのうちに、男子校(当時)である上智に男声合唱団がないのは不自然だ、このグループを中心にして男声合唱団を作ろうではないか、という気持ちが皆にも芽生えてきたのである。私もかつて合唱をするために高校を選んだのだ。入学した大学に合唱団が無ければ、新しく作ろうとするのは当然ではないか、という気持ちになっていた。
さて、この四名とは誰なのか、紹介しておこう。(所属学科は「当時」、いずれも昭和28年入学)
テナー:中島 潔(英文学科)、セカンド・テナー:角田 勲(英文学科)、
バリトン:橋村令助(新聞学科)、バス:私、松前吉昭(新聞学科)である。
いずれもその時、一年生。前述のとおり、私以外の三名は合唱初体験だったのである。
さてこの四人を中心に、新しく部活動を始めるためにはどうしたらいいのか。一度、事務室に相談に行こう、などと、具体的に検討を始めた。そして毎日、四人で歌うことはやめなかった。
まだほんの三、四ヵ月、曲も数曲だったが、私以外の三名も合唱の魅力にだんだん捉われてきたようだ。歌うのが毎日、楽しみなようだ。
そんなある日、いつものとおり昼休みに教室で静かに歌っていると突然、一人の学生が入ってきた。四人が一曲歌い終わるのを待って、彼は言った。
「おい、一緒にコーラスをやろうじゃねーか?」
「えっ?」、「上智に合唱団がないから、作ろうと思ってたんだ」という。
「われわれも作ろうと思って、とりあえずこの四人で歌い始めてるんだ」と答える。
聞くと彼は平野 浩といって、われわれよりも学年が上らしい。メンバーの当ても何人かいるという。
われわれも、それぞれが独自に合唱団を作るのが果たしていいのかどうか? という疑問もあって結局、これが契機となって、両者が合体し、間もなく「上智大学グリークラブ」が発足したのである。
昭和28年、今の輝かしい「グリー」誕生の瞬間である。
それからあとの「グリー」の活躍は、定期演奏会を中心に目覚しいものがあった。
驚くべきことは、発足した年度に第一回の定演を催したことだ。
昭和28(1953)年11月1(日)於 上智大学講堂。
以来、定演は年に二度ずつ実施した。
また、指揮をつとめる平野 浩氏の伝手で時々、指揮の専門家を招いて研鑚を積み、演奏曲目に宗教曲の大曲を加えるなど、早くから積極的に実力と経験の充実を図った。とくに宗教曲は大学コーラスの“宗教曲ブ−ム” の先駆けにもなったと言えよう。 
近隣の女子大、例えば東京女子大、大妻女子大などの合唱団を招いて共演したのも、合唱の実力を養うとともに、当時の上智のPRにも貢献することになったと思う。
公演の場面だけではない。日々の練習に加え、毎年、夏休みには八ヶ岳の「上智岳」に登った。山小屋で手製のカレーライスを食べながらのコーラスの合宿練習も忘れられない思い出だ。
上智大学グリークラブは、今や実力派の大学合唱団に数えられているが、以上のような半世紀を超す歴史のスタートを知る人は限られている。当時の諸兄に改めて敬意を表したい。
幸いにも私は、合唱に関わるこのようなうれしい時を持ったのだ。今は、山形南高校時代の昔のコーラス仲間と、東京・三軒茶屋で月に1回のコーラスと“1杯”を楽しんでいる。

以上

上智大学グリークラブOB S32年文学部卒
ベース 松前 吉昭