小林洋三さんを慎む   柴原大造(S37卒)


小林洋三さんの葬儀はプロテスタントの祭式で、
2012年、2月4日、11時30分、ライフケア・メモリイプレイス、松戸サウスホールで、
椿 憲一郎牧師の司式で執り行われました。
『賛美歌』66番、312番、354番、『頌栄』541番が歌われ、
『旧約聖書』の詩篇23篇と『新約聖書』のヨハネによる福音書の21章の一節から
七部が朗読されました。
『賛美歌』312番「いつくしみふかきともなるイエスは…」を歌ったときは、
涙がとまりませんでした。多くの会葬者で荘厳な式でした。
納棺の前にグリーのメンバーで「校歌」を歌い、茶毘所へ向かう時は、
「はるかな友に」を歌ってお別れしました。

洋三さんと私がOBとして、大きな演奏会に出たのは、2004年、2月22日、
紀尾井ホールで、北村協一先生式の「北陸にて」を歌った時からです。
洋三さんは小さい頃からオルガンとピアノを弾いていたので、音感がよく、
「楽典」にも詳しく、いろいろと教えてもらいました。歌う声もよく響いて、
いつも感動していました。

洋三さんは多趣味の人でした。特に旅行を好み、ご家族で商社マンでしたから、
ヨーロッパ、近東の国々を巡った様でした。
「時刻表」にも詳しく、説明してもらいました。洋三さんとは、箱根、熱海、
修善寺へ行きましたが、一番思い出に残る旅は七年前のヨーロッパの十四日間です。
計画は全部、洋三さんが作成しました。オーストリア、ドイツではドイツ語で流暢に
ドライバーに行き先を話していました。

また、洋三さんは高校野球の観戦が大好きで、千葉県の夏の予選が始まると、
近くの球場に朝から出掛けて真黒になった、と言っていました。おそらく、その時は、
ヨーロッパ旅行でフランクフルト・アム・マイン店で買った高価な「ライカ」の
望遠鏡を持って観戦していたのではないか、と思っています。

洋三さん、あまりにも早く逝ってしまいましたね。もっとお話したかったです。
がんばりますので天国で見守って下さい。